ストーリー

一日の稽古がすべて終わった夕刻、道場の壁にもたれてぐったりしている チャン・コーハンのところに、チョイ・ボンゲがこそこそとやってきた。
「……ちょっとちょっと、チャンの旦那!」
「あ〜? 何だよ、チョイ? 俺はもうメシの時間まで動けねえよう……」
「確かにきょうもキムの旦那の稽古はきびしかったでヤンスからねえ。……でも 旦那、その稽古から解放されるいい手を思いついたんでヤンスよ!」
「うほっ? ほ、ホントかよ、チョイ?」
「ホントもホント、これなら100パーセントうまくいくでヤンス!」
「どっ、どういう手なんだよう、おい?」
「まずはコイツを見てほしいでヤンス」
 チョイはチャンの肩によじ登り、懐から取り出した雑誌を開いた。韓国で発行さ れている格闘技の雑誌で、開催間近い“キング・オブ・ファイターズ”関連の情報 が特集されている。
 チョイが開いたページを見つめ、チャンは絶望的な呻きをもらした。
「ううう……出場が予想されるチームのところに、もう俺たちまで名前が載ってる じゃねえか……どうせ優勝したって、キムの旦那は俺たちを解放しちゃくれね えってのによう。出場したって、疲れるばっかりで何もいいことなんかねえぜ ……」
「そこじゃなくて、こっちを見るでヤンス! 今大会に出場が予想される強豪選手 たちってコーナーでヤンスよ!」
「う? 何だ、こいつら? 揃いも揃って凶悪そうなツラしてるじゃねえかよう」
「凶悪なのは顔だけじゃないでヤンス! 経歴も相当なものでヤンスよ!」
「で、こいつらがどうかしたのかよう?」
「単純なハナシでヤンス! キムの旦那には、あっしたち以上の悪党を教育して てもらえばいいんでヤンスよ!」
「おお……! チョイ、おめえは天才だぜ! そうだそうだ、そうだよなあ!」
 疲労と空腹で立てずにいたチャンは、チョイのいわんとするところを察するや 否や、いきおいよく立ち上がった。
「悪は急げ――じゃねえ、善は急げだ、さっそくキムの旦那にこいつらを“推薦” してやらなきゃあなあ!」
「新生キムチームの誕生でヤンス!」
 どすどすと床を踏み鳴らし、チャンはチョイをかかえたまま走り出した。

      ◆◇◆◇◆

 夏も間近い某月某日、サウスタウンのイーストアイランド。
 本格的な海水浴シーズンを前に、まだ泳ぐ者とてほとんどいないサウンドビー チで、ふたりはその場に立ち尽くしたまま、おたがいを凝視していた。
「…………」
「…………」
 ふたりはどちらからともなく相手のほうへと歩き出した。みしみしと砂を踏む彼 らの足音が、静かな波の音に重なる。
 相対距離が3メートルほどになったところで、身長2メートルを超える巨漢がい ぶかしげな声をあげた。
「やっぱおめえ……ホアじゃねェか?」
「テメェ、ライデンか!?」
 応じた男の声にも驚きの色が混じっている。
「おめぇ、ギースと手を切って国に帰ったはずじゃねえのか?」
「そいつァ俺のセリフだぜ、ライデンさんよォ」
 このふたり、旧知の仲といえば旧知の仲ではある。
 一方の巨漢の名はライデン――かつてギース・ハワードの用心棒のひとりとし て、黎明期のKOFに出場していた覆面のヒールレスラーである。仕立てのいい 上品なスーツを着てはいるが、2メートル、210キロの巨体から放たれる威圧感 は、リング上にいる時とまったく変わらない。
 一方、パタヤビーチからそのままやってきたようなアロハ姿の男は、元ムエタ イ王者のホア・ジャイ。タイトルマッチで日本人に敗れたことから身を持ち崩し、 ライデンと同じくギース子飼いの格闘家としてKOFに参戦していたこともある。
 だが、ライデンが口にしたように、すでにふたりとも、ギースとは縁を切り、それ ぞれ祖国に戻ってもとの道に戻ったはずだった。すなわち、ライデンはプロレス ラーとしてリングに上がり、ホアは現役復帰を目指してトレーニングの日々に ――。
 そのふたりが、なぜ今またサウスタウンで出会ったのか。

 ホアはライデンに歩み寄り、体格差をものともしない挑戦的なまなざしでかつ ての“同僚”を睨み上げた。
「――おいおい、まさか俺を呼び出したのもテメェかァ!?」
「何いってやがる? おめえのほうこそ、いったい何の用があって俺をこんなとこ ろに呼び出しやがったんだ? ことと次第によっちゃ、昔馴染みとはいえタダじゃ おかねェぜ」
「あァ!? テメェの事情なんざ俺の知ったことかよ!」
「リングを降りて久しい野郎が、ずいぶんとまた威勢がいいじゃねェか」
 マスクの下のライデンの目が細められ、危険な輝きを帯びた。それを目の当 たりにしたホアの表情にも、不敵な笑みが広がっていく。
「なァ、ライデンさんよォ……ここはギースが仕切ってた頃のKOFの会場じゃ ねェンだぜ?」
「だから何だってんだい?」
「要するに――あの頃みてェな八百長は通用しねェってことだよ! ナメた口聞 いてると蹴り殺すぞ、この肉ダルマがァ!!」
「待ちたまえ、ふたりとも!」
 今まさにライデン対ホアの因縁マッチの火蓋が切って落とされようとしたその 時、ふたりの気勢を殺ぐかのように、するどい声が飛んだ。
「誰だ!?」
 ライデンとホアが同時に声のほうを振り向く。その視線の先には、防波堤の上 に立つ東洋人の姿があった。
「きみたちが争う必要はない。きみたちをここへ呼び出したのはこの私だ」
「おっ、おめえは――!」
 こちらへとやってくる男を見据えたまま、ホアはそっとライデンに歩み寄り、低 い声で尋ねた。
「……おい、ライデン。あの野郎、どっかで見たことねェか? あいつ、ひょっとし て――」
「ああ……」
 ライデンがどこかぎこちなくうなずく。
「最近のKOFじゃ常連中の常連、韓国にその人ありといわれたキム大先生だ。 テレビや雑誌にもよく出てるだろ」
「あいつか! テコンドー界の何とかいわれて調子に乗ってる、正義の味方気取 りの――」
 ホアのセリフが途中で途切れた。一見すると無造作に歩いてくるように見えた 男――キムの動きに、隙というものがまるでないことに気づいたからかもしれな い。不安定な砂の上だというのに、キムはまったく正中線を揺らがせることなく、 まっすぐにふたりのほうへとやってくるのである。
 ライデンは小さく咳払いし、尋ねた。
「確かあんた、俺たちを呼び出したのは自分だっていったよなあ?」
「いかにもその通りですよ、ライデンさん」
「で、人格者のキム先生が、いったい俺たちに何の用だい?」
「単刀直入にいいましょう」
 キムはライデンとホアを交互に見やり、敢然といい放った。
「あなたがたには、私とチームを組んで今度のKOFに出場していただきたいの です」
「はぁ? 俺たちが――」
「テメェとチームを組むだとォ!?」
「いかにもその通りですよ、ホアさん」
 白いポロシャツ姿のキムは、唖然としているふたりの前で腕を組み、いまさら のように沈痛な表情を浮かべた。
「私からいわせれば、あなたがたはたいへんな才能の浪費をしている」
「な、何だァ、いきなり?」
「それだけの才能を持ちながら、ギース・ハワードのような悪党と手を組み、八百 長試合などに手を染めるとは、これが才能の浪費でなくて何だというのです?」
「いや、あのなあ、キムさんよ。俺たちはもう、ギースの野郎とは手を切ってだな ――」
「そっ、そうだよ、俺たちァ……な、なあ、ライデン?」
「ああ、まっとうな格闘家として第二の人生を踏み出してるんだ」
「そこで私は心に誓ったのです」
 ふたりのセリフなど耳に入らなかったように、キムは続けた。
「――私があなたがたを正道に戻してみせようと!」
「げっ!? お、俺たちを正道に戻すって……ま、まさか――」
「KOFの激闘を通しておのれの中の悪と戦い、これを打ち払う! それを私がお 手伝いしようというのですよ! それが私の使命なのだと!」
 拳を握り締めてひとり感動しているキムをよそに、ライデンとホアは顔を見合 わせた。
「お、おい、ライデン! こいつはもしかして――」
「ああ、間違いねェな。噂に聞くキムの“教育”ってヤツだぜ、こりゃ」
「それがどうして俺たちのところに来るんだよォ!? こっちはもうギースとは手を 切ってんだぜェ!?」
「そりゃそうだが、じゃあ善人かっていわれりゃあ、俺もおめえも、はいそうですと は答えられねえしなあ」
 こそこそと内緒話を続けるふたりにも気づかず、キムは正義をおこなうことの 崇高さと、その先に広がる明るい未来――ついでにテコンドーの素晴らしさを 語っている。
 それを横目に見ながら、ホアは舌打ちした。
「……いっそやっちまうか、ここで?」
「そんなマネしてみろ、おめえ、ムエタイのリングに復帰するどころじゃなくなる ぞ?」
「じゃあどうすンだよ、おい!? 本気でこいつと組んで出場するってのかァ?」
「考えようによっちゃ、悪い話でもねえぜ、ホア」
「何だと?」
「この先のことを考えりゃ、KOFで名を売っとくのは悪いことじゃねえ。優勝チー ムのメンバーって箔がつきゃあ、俺はギャラの交渉がしやすくなるし、おめえ だって、ダーティーなイメージを払拭してカムバックがしやすくなるってもんだろ う?」
「そうか……人格者のキムのお墨つきがありゃあ、確かにな……」 「どうってこたあねえさ、こいつと組んでる間だけ、ま、テキトーに調子を合わせ てりゃあよ」
「それに、KOFならジョーの野郎も出てくるだろうしな。クヒヒヒッ……」
 顔を見合わせていたふたりが、同時ににやりとほくそえんだ。

      ◇◆◇◆

 新生キムチーム誕生――。
 そのニュースはたちまち全世界を駆けめぐり、あらたに加わったライデンとホ アを知る者たちを少なからず驚愕させたが、その影で欣喜雀躍している凸凹コ ンビが存在したことは、意外に知られてはいない。